10月16日(日) 10:50-12:30
会場:東3号館301号室(K301)
司会:竹中 悠美(立命館大学)
マイケル・フリードの「演劇性」概念について
10:50-11:20 /茶圓 彩(京都大学)
アメリカの美術史家、批評家、詩人であるマイケル・フリード(Michael Fried, 1939-)は1967年に『アートフォーラム』誌上でミニマル・アートに関する論考「芸術と客体性(Art and Objecthood)」を発表した。この論考でフリードはそれらの作品を、ただ物体それ自体を提示するものであるとしてリテラリズム(literalism)と換言し、かつ観者(beholder)を作品が機能するための一要素とすることから「演劇的(Theatrical)」であると特徴づけた。「演劇的」であること、すなわち「演劇性(Theatricality)」という概念は、従来の鑑賞形態である作品に注意を向けることとは異なり、作品に対峙した時の観者自身の経験に注意を向けるものである。ここでフリードは、この「演劇性」が芸術を堕落させるものであるとしてミニマル・アートの作品を批判し、その克服こそが芸術が芸術たりうるために必要であると述べた。しかしながら、現在のアートシーンは、ソーシャリー・エンゲイジド・アートや地域アートなどの鑑賞者参加型作品の鑑賞形態に見られるように「演劇的」な作品が主流のひとつとなってきている。そこで、このような今日的状況を再考するために「演劇性」概念に改めて着眼し、その内実を明らかにすることが必要であるように思われる。
これを踏まえて本発表では、「演劇性」概念の一端を描出することを目的とする。これまでの先行研究では、「芸術と客体性」において提示される「現在性」――芸術作品が恵与する創造の瞬間に私たちが立ち会うこと――を最終的に論じるために「演劇性」がその下支えとして用いられることが多かった。そのために、この概念の検討はいまだ十分ではなく、どのような構造であるのかは不明瞭なままである。『芸術と客体性:論考と批評(Art and Objecthood:Essays and Review)』(1998年)の発表と同年の書評では、「芸術と客体性」を深く理解するために、論考「形式としての形:フランク・ステラの不規則な多角形(Shape as Form:Frank Stella’s Irregular Polygons)」(1966年)が手がかりとして示された。フリードは「形式としての形」で、ステラのみならずケネス・ノーランドやジュールズ・オリツキーの作品を対象として扱い「描かれた形(depicted shape)」と「物体それ自体の形(literal shape)」の相互作用の関係を探求している。そこで本発表ではこの論考を参照しながら、ここで示された関係と「演劇性」概念における観者とリテラリズムな作品の関係とをパラレルに比較検討することで、両者の関係性において見受けられるリテラルなものへの依存という問題を浮き彫りにし、「演劇性」概念の輪郭を描出することを試みたい。これは、その後に続くフリードの思想的展開を今後読み解くための足がかりとなるものであると位置づける。
マイケル・ハイザーにおける立体と平面の互換
11:25-11:55 /濱田 洋亮(福島県立美術館)
本研究は、アメリカのアーティスト、マイケル・ハイザー(1944-)の芸術における彫刻と写真の対応関係に着目し、立体と平面を互換する彼の芸術表現の展開について考察する。
マイケル・ハイザーは、アースワーク(ランド・アート、アース・アートとも呼ばれる)という大地を直接の支持体や素材とする芸術の手法と形式を担った作家の一人として知られている。アースワークでは特定の場所と密接に結びつくその性質により、作品の発表において写真が重要な役割を担った。そこでは、野外にある実際の作品と、写真という副次的な資料との間にある表現形式の差異から、旧来の芸術の制度を担保してきた美術館やギャラリーの在り方が問い直されることになった。ハイザーも他のアースワークの作家と同様に写真を使って作品発表をしていた一人だが、一方で彼は自身のアースワーク作品の写真を再構成した室内向けの作品も制作していた。こうしたハイザーの写真の活用について、制度批判の観点から論じられたことはあっても、彫刻を主とした彼の制作史における位置付けから踏み込んで議論されることは少なかった。そこで、本研究はハイザーの作品と言説、批評の分析を通して、彼の芸術表現における立体と平面の相関について論じる。そうすることで、従来、自然環境や考古学といった要素から把握されることが多かったハイザーの芸術について、次元というさらなる視点を加えることができる。
1968年から1970年代初頭まで、ハイザーは、自身のアースワークをその内部から複数のアングルで撮影し、それらを展示室の壁面にパノラマとなるようにつなげた写真作品を制作していた。それらはアースワークの規模や没入感の再現を試みたものであったが、当時の批評では現場にある実際の作品と乖離したものとみなされていた。一方、ハイザーは全長33メートルに及ぶ彫刻作品《都市:複体1》(1972-74年)において、多角的な視点からの鑑賞を要求する「回折的ゲシュタルト」という独自の概念を盛り込み、複数のアングルを使った初期の写真作品の手法を三次元的に発展させた。そこにはゲシュタルト理論を位相幾何学に応用したロバート・モリスからの影響も推察される。そしてハイザーは数理的規則性を反映させた彫刻を手がけるようになる。特に、《牽引された塊の幾何学》(1985年)では、岩石のテクスチュアを写した写真を段ボール紙で作られた彫刻の表面に施し、二次元を三次元へ展開しようとした。
このように、ハイザーはアースワークの再現というコンセプチュアルな方法から写真を用い始めたが、1980年に至り位相幾何学から発想した平面と立体を置き換える表現を展開していった。この点から見れば、ハイザーの芸術はポスト・ミニマリズムよりミニマリズムの傾向を強くさせている。すなわち、それはハイザーのアースワークを風景という視覚的、環境的要素ではなく、即物的な要素から把握し直すことにつながるだろう。
ヴィト・アコンチとフェミニズム——参加型作品《幅跳び 71》における男性性分析
12:00-12:30 /橋爪 大輔(横浜国立大学)
1970年代前半のパフォーマンスやヴィデオ作品で広く知られる米国の芸術家ヴィト・アコンチ(Vito Acconci, 1940-2017)は、1971年にニュージャージー州・アトランティックシティのコンヴェンション・ホールで開かれたグループ展The Boardwalk Showに参加型作品《幅跳び 71》(以下、原題のBroadjump 71と記す)を出品した。本作でアコンチと観客はジャンプの飛距離を競い合った。そして勝利者には、アコンチと当時同棲していた女性と過ごす時間が与えられたのだ。これまで、Broadjump 71は集中的に論じられてこなかったが、ここに指摘できる男性芸術家の自己中心的な「エゴ」は、1970年代前半にフェミニズム美術批評家のシンディ・ネムザーによって非難されている。
しかしこうした批判的観点のみからBroadjump 71を議論するには、留保が必要であるように思われる。というのも、当時アコンチはフェミニストたちと問題意識を共有しており、自らの「男性性」に自覚的であったからだ。例えば後年、1960年代後半におけるフェミニズム運動の重要性を語っているアコンチは、ラディカル・フェミニズムを代表する書物として名高いシュラミス・ファイアストーンによる『性の弁証法』(1970年9月刊行)に大きな影響を受けている。実際、1970年11月に制作された写真作品Conversionsでは、胸毛を燃やし、性器を隠すことで、アコンチは自らの男性性を物質的な次元で反省しているのだ。
では、Broadjump 71が孕むフェミニズムのコンテクストはいかにして見いだされるのか。そこで本発表では、ファイアストーンを編者に刊行された機関紙や件の展覧会カタログ、加えてアコンチ自身の発言を参照することでBroadjump 71の実践を多角的に検討し、1980年代後半以降活発になる精神分析理論を用いた男性性分析では見落とされてきた、本作とフェミニズム運動との連関を明らかにする。
アコンチも当時共有していたように、Broadjump 71が展開されたアトランティックシティのコンヴェンション・ホールは、例年ミス・アメリカの会場であった。さらに、1968年にはその会場でラディカル・フェミニストたちが「ミスアメリカ抗議」を行ない、大きな注目を集めた。つまり、フェミニズムに共鳴していたアコンチは、マスメディアの報道によって大衆に広く知られたこの抗議運動が展開された場で、敢えて女性差別的な構造を反復し、批判の余地を残しつつも、「有害な男性性」のパロディ化を試みたのではないだろうか。
21世紀に入って本格化したアコンチのアーカイヴ資料の出版を契機に、近年この芸術家の初期作品(1960年代後半の詩や1970年前後のパフォーマンス作品)の歴史的な意義に対する関心は高まりつつある。その意義を、フェミニズムの言説を踏まえて男性性の観点から示すために、Broadjump 71を同時代の文脈に位置付けることが必要であろう。本発表を、アコンチという男性芸術家が自らの性と向き合うことで生み出した作品の分析として位置付けたい。