〈若手研究者フォーラム・分科会6〉 美術史2

8月 31, 2022

10月16日(日) 10:50-12:30
会場:東3号館201号室(K201)
司会:春原 史寛(武蔵野美術大学)

フランソワ・ブーシェ《アウロラとケファロス》における神話図像の変容

10:50-11:20 /田中 優奈(九州大学)

本発表ではフランソワ・ブーシェ(1703–1770)が1733年に描いた《アウロラとケファロス》(ナンシー美術館蔵、以後本作とする)の図像の分析を行う。本作の主題は『変身物語』7巻の「ケファロスとプロクリス」の一部で、曙の女神アウロラが狩人ケファロスを見初め誘拐するも、ケファロスは女神の愛を拒否するという物語を典拠としている。本作はイタリア留学後間もないブーシェが手掛けた大型の神話画であり、1732年に描かれた《アエネアスのためにウルカヌスに武器を頼むウェヌス》の対作品として、高等法院の弁護士フランソワ・デルベのために制作された。

1600年に上演されたオペラであるG・キアブレーラの『ケファロスの誘拐』をはじめ、ケファロスがアウロラに攫われる場面は早くから独立した物語として扱われ、抵抗する様子が頻繁に絵画化された。しかし本作において連れ去られるケファロスは、アウロラにもたれかかるかのような好意的な様子を見せている。本発表では同時代に出版された『変身物語』の挿絵本を分析するとともに、本作の対作品の図像も検討した上で、アウロラとケファロスの物語においてケファロスがアウロラに抵抗することがもはや物語の中核ではなくなっていた可能性を指摘する。

文献典拠や先行図像から逸脱して見える本作の図像の参照元として、M・レーヴィー(1982)は1732年に出版された『変身物語』の挿絵本の存在を指摘している。これはラテン語原文とバニエによる仏訳を併記したテキストに1話につき1枚挿絵をつけたもので、仏訳では原文に見られたケファロスが連れ去られる際に抵抗したという旨の記述が削除されている。本発表ではさらに、同書に付された挿絵の表現を確認し、そこに描かれたケファロスがアウロラに対して好意的な姿勢を見せていることを指摘する。

本作の以後制作されたブーシェによる同主題の作品においても、ケファロスが抵抗する表現はなされず、ブーシェが一貫した方向性をもってアウロラとケファロスの図像主題を扱っていたことがわかる。一例として、バニエによる『変身物語』は1767–71年に改訂版が出版され、そこではブーシェがアウロラとケファロスの物語に挿絵をつけているが、その図中においてはケファロスがアウロラに対し無防備に横たわる姿で描かれている。

以上の解釈は、対作品である《アエネアスのためにウルカヌスに武器を頼むウェヌス》の図像とも呼応する。それは『アエネイス』8巻を典拠とするもので、人であるアンキセスとの間に生まれた息子アエネアスのために、ウェヌスが自身の夫で鍛冶の神であるウルカヌスに武器制作を依頼するという物語である。ウルカヌスは当初戸惑いを見せるが、ウェヌスに誘惑され最終的にはその要求を受け入れる。ブーシェの作品では、ウルカヌスを見下ろすウェヌスのポーズや視線から彼女の優位性が見て取れる。本作との関係性を考えると、女神の誘惑と優位性という点で共通していると言えよう。

岸田劉生の宗教画についての考察——《人類の意志》下絵を中心に

11:25-11:55 /岩間 美佳(神戸大学)

岸田劉生(1891-1929)は、1914年前後に旧約聖書に取材した宗教画群を描いている。これらの絵画は、モティーフの選択や人物の身振りの描写における特異な表現が、アダムとエヴァやカインとアベルの物語をめぐる、画家独自の解釈を予想させる。

岸田の宗教画については、瀬木慎一が論じたように、ミケランジェロやウィリアム・ブレイクによる影響が示唆されてきた。一方で、図像源泉の特定や図像の読解といった具体的な研究は、未だ十分に進められていない。しかし、1910年代後半の岸田の絵画を特徴づけている西洋古典絵画への参照を深める契機ともなった、個々の宗教画の成立背景や図像的意味について解明することは、この画家の前半の画業を考えるうえで重要な意義をもつのではないか。

本発表では、1914年頃に岸田が描いた複数の宗教的図像を視野に入れつつ、それらが複雑な構図のなかに結集された《人類の意志》下絵を中心に考察する。とくに、岸田が参加した『白樺』との関連に注目しながら、彼が独自の様式で描いた宗教画の成立背景と図像解釈について、詳細な検討を行うことを目的とする。  

第1章では、本作品の概要について確認する。この絵の各部分に描かれた主題を整理したうえで、アダムとエヴァやカインとアベルの描写における、西洋の典型的表現からの逸脱を指摘する。また、人物の肉体表現や構図の比較から、本作品が同時期の岸田の宗教的図像を同一画面にまとめた絵画であることを確認し、『白樺』掲載図版のなかから、これらの図像で参照されたブレイクの美術を特定する。第2章では、岸田のテキストを手掛かりに、彼がもつ特異な原罪認識について分析する。原罪と本能的欲望を結びつけ、苦悩の根源とみなすと同時に、生命誕生や自己の成長の根拠として積極的な価値づけを行う岸田の発想には、白樺人格主義および柳宗悦によるブレイク論の受容が関わったことを指摘する。第3章では、こうした岸田の宗教観をふまえ、本作品が示す図像の解釈を試みる。岸田が「自然」を象徴するモティーフとして複数の絵画で描いた「土」との関連において、本作品では、大地に密着するエヴァの女性的身体が、自然の生産性への賛美を表す。アダムの誕生やアベルの殺害と結びつく土中の死体は、肉体の消滅による死を不可避とする、即物的な自然観を表す。岸田にとって、生をもたらすと同時に死を運命づける「自然」は原罪の物語に直結するものであり、本作品でそれは、肉体を解体しつつ新たな生命を育む大地の循環的イメージとして表された。岸田が生死の営みのイメージによって表す、罪や自然に両義的価値を与え、二項対立の相克を新たな発展の根拠とみなす認識は、柳や武者小路実篤が提示した枠組みと一致する。白樺派の宗教観を背景にもつ、本作品の「土」にまみれるアダムやエヴァの特異な図像は、生死の根源的営みを循環させる原罪と自然の両義的価値を描いたものであったのだと結論づける。

小村雪岱と同時代の潮流や批評——挿絵というジャンルにおける作家性の検証

12:00-12:30 /五十嵐小春(一橋大学)

大正から昭和初期にかけて活躍した小村雪岱(1887-1940)は、装幀・挿絵・舞台演出・商業デザインなど幅広い分野で作品を残した。作家・泉鏡花との交流が深く、鏡花の作品において後世に残る装幀を生み出したことで知られる。資生堂のデザインに携わった時期もあり、そのデザインは現在まで脈々と受け継がれている。出身が川越町(現埼玉県川越市)であることから作品は埼玉県内の美術館や個人が所蔵するケースが多く、近年まで雪岱の名を冠した展覧会も、大半が県内で開催されている状況である。

雪岱が携わった分野は多岐にわたり、作品は分野ごとに様々な側面から論じられている。既に研究対象として取り上げられている雪岱だが、現在のところ、作家が生きた当時の潮流や批評といった観点から考察されるまでには至っていない。そこで、本発表では雪岱の画業の中でも評価が高い挿絵、とりわけ代表作として位置づけられている『おせん』(1933)を軸に据える。本作は江戸時代の浮世絵師・鈴木春信(1725?-1770)が錦絵を描いた実在の女性、おせんを主人公とした恋愛物語であり、小説家の邦枝完二(1892-1956)によって朝日新聞に4ヶ月間にわたり59回連載された。現在代表作とされている理由は、挿絵の質はもとより、作品発表後から没後まで、作家仲間に高い評判を得ていたからである。仲間内での評価が現在の評価に強く影響をもっている点が雪岱研究の特徴と言えるが、こうした極めて近しい関係者からの意見が雪岱にとって果たしてどの程度指針となっていたのだろうか。雪岱が作家として生きるために、親近者にとどまらない周辺の動向から何を考え、挿絵というジャンルを選択して結果的に代表作を生み出したのか、当時の状況や批評を踏まえながらその意識に迫りたい。

雪岱が『おせん』を手掛ける5年前の1928年、日本電報通信社(現電通)主催の展覧会「現代挿画芸術展」が東京三越(現日本橋三越)で行われた。そこに挿絵画家として名を馳せる前の雪岱が作品を出展している。挿絵の地位向上が進む好機を雪岱は見逃さず、順応していったとも捉えられる。また、雪岱が挿絵に傾注する前に文部省美術展覧会に二度落選している事実は忘れられがちであり、これを転換期として挿絵に活路を見出したと解釈することも可能である。

先行研究において、雪岱の作品を論じる際の主な論点は、過去の作家や浮世絵の影響であった。本発表では、作品連載時に批評家らによってどのような評価を受けていたのかを、1930年代の評判や動向を中心に分析する。自身の作風について影響関係を明らかにしなかった雪岱が、『おせん』を生み出した背景で同時代の潮流および批評をいかに重視していたか明らかにすることで、雪岱研究に新たな視座を提示したい。