〈若手研究者フォーラム・分科会4〉 音楽

8月 31, 2022

10月16日(日) 9:35-10:40
会場:60周年記念ホール1階ホール
司会:西田 紘子(九州大学)

オペラ《チェネレントラ》と変容するシンデレラ物語の表象

9:35-10:05 /山下 彩華(筑波大学)

本発表では、世界で最もよく知られるおとぎ話の一つである「シンデレラ物語」を題材にした、ジョアキーノ・ロッシーニ(1792-1868)のオペラ《チェネレントラ、または善意の勝利》(1817年初上演)を分析し、シンデレラ物語の背後にある文化的表象の影響およびイメージ生成の過程を明らかにすることを目的とする。分析においては、ヤコポ・フェレッティ(1784-1852)による脚本と原作のペロー版を比較し、モチーフの消失、追加、変換に注目する。また、映像資料をもとに演出の解釈や効果についても検討する。

シンデレラ物語は様々な異文をともないながら広く伝播された民間伝承であるが、1697年にシャルル・ペローが採録した「サンドリヨン、あるいは小さなガラスの靴」によって決定版となるシンデレラ物語が形づくられた。以降、このペロー版シンデレラ物語は、原型として数多くの文学や芸術作品の表現に用いられ、今回注目するオペラ作品もそのうちの一つである。

本作において特に独自性があらわれる点は、ペロー版を原典としながらも、ペロー版の特徴ともいえる魔法や妖精といったモチーフが排除され、異なった話の筋やモチーフを採用しながら徹底して現実主義に貫かれた新しいシンデレラ物語を表現しているところである。また、オペラ・セミセリア(真面目な要素を含む喜劇オペラ)に該当する本作では、庶民的価値観に基づいた喜劇性が重視されている。

本作が原作と異なる重要な点のひとつとして、シンデレラや王子の人格の強調が挙げられる。例えば、本作で特に強調される主人公の「善良さ」という性質は、伝統的なシンデレラ像の普遍的性質と一致するものの、ペロー版の普及によって主人公に付された受動的でか弱い女性というイメージではなく、苦境を打ち返す生命力に溢れた魅力的で賢い女性として、原作とは異なるシンデレラ像が示されているのである。つまり、ペロー以前の民間伝承や異文においてシンデレラは賢さ、行動力、霊感を備えた人物として解釈されてきたということと考え合わせると、本作は近代的でありながらも、古層のシンデレラ像の再浮上を可能にしている、という特徴を持っているといえる。そして、オペラ・セミセリアの伝統に則り、原作の継母に代わって意地悪な継父に道化の役割が付与され、名付け親の妖精に代わる王子の家庭教師アリドーロや原作にはない従者ダンディーニなどの登場によって、喜劇的オペラのプロセスが豊かに表現されながら、トリックスターの存在やガラスの靴に代わる腕輪のモチーフは、シンデレラ物語の文化的解釈の可能性を大いに刺激するのである。

このように、おとぎ話を大衆向けの喜劇オペラとして新たにアダプテーションする構造を支える背景には、シンデレラ物語が本来持つ重層化された様々なイメージや洞察力が潜在していると考えられる。

音楽作品における「音」と自然——ハンスリックにとっての音、音楽現象学にとっての音

10:10-10:40 /小島 広之(東京大学)

本発表では、近代の音楽美学において、作品を構成する音がどのようなものとして描写されたのかについて、とりわけ自然ないし作曲家との関係性に注目しながら明らかにする。主たる研究対象となるのは、19世紀を代表する音楽論であるエドゥアルト・ハンスリック『音楽美について』(1854年)と、1925年ごろにパウル・ベッカーやハンス・メルスマンによって確立された「音楽現象学」をめぐる幾つかの小論である。およそ70年の時を隔てる両研究対象であるが、コスモロジカルな「自然法則」概念を用いて「音」を描写するという共通点を持ちながら、対照的な結論を導き出すという点で、比較対象として適切であると考えられる。

ハンスリックの『音楽美について』は、しばしば客観的な音楽論として紹介されるが、彼が主張したのはあくまで聴取における客観性であり、音自体は主観的表現物であるという立場をとった。しかし一方で、音の美の客観性を確かなものにするために、彼は不変の「自然法則」(宇宙の法則と言い換えてもよい)を持ち出す。本発表ではまず、表現物である音を描写する際にハンスリックが作曲家の諸能力、諸要素にどのような概念を割り当て、作曲という行為をどのように整理したのかを明らかにする。次に彼が、作品を構成する音をどのように「自然法則」と関連づけたのかを明らかにする。

ハンスリックの生誕100周年にあたる1925年ごろ、音楽現象学という語をタイトルに据える音楽論がいくつか公開された(論考「音楽現象学」(メルスマン、1924年)、「音楽現象学とは何か」(ベッカー、1925年)、著作『音響の自然領域:音楽現象学概要』(ベッカー、1925年)、『応用音楽美学』(メルスマン、1926年)など)。これらは名称に反して現象学とのつながりが乏しいこともあり従来あまり注目されてこなかったが、近年になって反心理学的な20世紀初頭の音楽美学の無視できない事例として注目を集めるようになった(ニールセン(2017)、アイヒホルン(2018)シュティージ(2021))。音楽現象学者は、ハンスリックの場合とは異なり、作品を構成する音は表現物というよりも自然の産物であるという結論を導き出した。本発表では、彼らがハンスリックと同じくコスモロジカルな「自然法則」を持ち出したにもかかわらず、彼とは対照的な客観的な音像を導出したこと、あるいはその導出の道筋を明らかにする。

音楽のコスモロジカルな次元は、ハンスリックにとっても音楽現象学者にとっても、自説の弱点を補完するために用いられたのだと主張することができる。すなわち、ハンスリックの場合には、主観的表現である音が客観的な音楽美を持つことを主張するために、音楽現象学の場合には、客観的対象である音と作曲家のつながりを確保するために「自然法則」が音楽論に導入されたのである。