〈一般発表・分科会6〉 戦後アメリカ美術

8月 31, 2022

10月16日(日) 13:30-15:40
会場:東3号館301号室(K301)
司会:平芳 幸浩(京都工芸繊維大学)

ハロルド・ローゼンバーグにおける「行為」と「ドラマ」

13:30-14:10 /坂井 剛史(東京大学)

ハロルド・ローゼンバーグ(1906-1978)は「アクション・ペインティング」の概念を提唱したアメリカの美術批評家として知られるが、他方でこの概念を初めて提示した 1952 年時点までの彼の論考のうち、美術を主題としたものはわずかである。というのも、30 年代前半に始まる彼の批評活動は「ニューヨーク知識人」の文脈において展開されたものであり、狭義の美術批評に限定されるものではなかったからである。その論考の多くはマルクス主義やファシズムなど、当時のアメリカ社会の政治・文化の喫緊の問題を扱っている。本発表はこの「ニューヨーク知識人」の観点から初期ローゼンバーグの「アクション」および「行為 act」に関する議論を、彼のマルクス主義思想との関わりにおいて検討し、そこから 52 年の「アクション・ペインティング」の概念を捉え直すことを目的とする。

「ニューヨーク知識人 The New York Intellectuals」とは、1930 年代後半に政治文芸雑誌『パーティザン・レビュー』の周辺に集った一連の知識人・作家の集団を指す。同誌は社会主義革命の推進と反スターリン主義を掲げて 30 年代後半に登場(正確には再刊)したのであり、ローゼンバーグもまた同誌周辺のマルクス主義に関する議論に大きな影響を受けている。この点に着目した先行研究は、ローゼンバーグの行為論を当時のマルクス主義思想、特に労働者階級による革命的行為についての理論との関係から読解し、そこから「アクション・ペインティング」の概念を捉え直すことを試みている。これにより、それまで実存主義的・ヒューマニズム的観点から理解されてきたこの概念に新たな解釈を提示している(Orton 1991, Robbins 2012 など)。

本発表も以上の先行研究に連なるものであるが、先行研究が 30 年代からの彼の議論の連続性や一貫性を強調するのに対し、本発表では彼の歴史に関する議論の変化に注目する。最初期のローゼンバーグは、当時のマルクス主義の唯物史観に依拠しつつ、歴史の展開を「ドラマ」ないし「筋」と捉え、歴史から与えられた役割を「演技=行為」することとして行為を位置づける。このように彼のいう「演技=行為」は「ドラマ」としての歴史と結びついており、これはその後も変わらない。だが他方で、40 年代に入るとローゼンバーグは、独ソ不可侵条約の締結やアメリカの参戦など、一連の政治的出来事を背景にマルクス主義思想の再考へと向かう。本発表では、彼の 40 年代の論考の検討を通じて、ローゼンバーグがその徹底した反ファシズム・個人主義においてマルクス主義の弁証法的な歴史観を退け、「行為」を歴史の「無過去性」の観点から論じるようになること、およびそうした個人主義的観点が実存主義思想の影響からではなく、彼自身のマルクスの再読から提示されていることを示す。その上で当時のアメリカ社会において「アクション・ペインティング」がもっていた意義を考察することにしたい。

演劇的行為としてのクレス・オルデンバーグ《ストア》——戦後アメリカ美術におけるアントナン・アルトー

14:15-14:55 /原田 遠(東京大学)

クレス・オルデンバーグ(1929–2022)の初期作品《ストア》(1961–1962)は、衣服や食べ物のような日常品を象ったオブジェを作り、ニューヨークの下町の一室を使って商店のようにそれらを販売した作品である。アメリカでポップ・アートとして理解される枠組みを最初に提示した「ニュー・リアリスツ」展(1962年)に出品されて以来、《ストア》は、オルデンバーグのポップ・アート的表現の先駆けとして従来位置づけられ、大衆消費社会を再現的に写した静物としての側面が強調されてきた。

しかし、《ストア》が制作された当時、オルデンバーグは彫刻を作品表現の中心に置いていたわけではない。絵画や彫刻で空間を装飾し身体表現を用いる環境芸術やハプニングとして総括される作家と活動をともにしながらも、それとは異なる、身体を中心とする総合的な表現を模索していた。本発表では、そのようなオルデンバーグの表現を演劇的行為と呼称する。《ストア》においてもオブジェの制作と販売が行われただけではなく、「レイ・ガン・シアター」という名で計9種の演劇的行為が付随していた。

本発表は、《ストア》で行われた演劇的行為に着目し、フランスの詩人/劇作家のアントナン・アルトーによる「残酷演劇」への強い意識があったことを明らかにすることで、「ニュー・リアリスツ」展のキュレーションによって形成されたポップ・アート的静物としての位置づけとは異なる《ストア》の文脈を再検討する。

最初に、当時のオルデンバーグのノートやインタビューに加え、オルデンバーグがアルトーとの繋がりの中で捉えていた、リヴィング・シアター、ディック・テイラー、レッド・グルームズの言説と作品を検討する。これらを通して、アルトーの「残酷演劇」の理論を経由して、彼らは、観客に強い刺激を与えることで、観客を作品の世界に巻き込み、芸術と現実との境界を攪乱するような実践を行っていたこと、また、彼らは、舞台美術や身体といったような非言語的表現によって新しい演劇を模索するするアルトーの態度に重なり、激しい視覚的・聴覚的・身体的表現を用いることで、観客に心理的な効果を与えようとしていたことを明らかにする。次に《ストア》において行われた演劇的行為を具体的に分析し、そこには現実と似た状況や環境を再現的に構築していながらもそこに突然、暴力的で破壊的な行為を介入させる試みや、日常を模していながらもそこから逸脱する奇妙なオブジェや身体的動作を用いることで日常的な場面に違和を生み出す狙いが一貫してあったことを示す。《ストア》にあった、再現的表現に留まらない、芸術と現実という2つ相反する枠組みを解体し観客への強い働きかけを行おうとする表現の文脈を論証したい。

ロバート・スミッソンとデニス・オッペンハイムの芸術実践における郊外と地図

15:00-15:40 /河 珠彦(東京大学)

ロバート・スミッソンとデニス・オッペンハイムはアースワークの代表的な作家であるが、彼らには同時代に活動したこと以外にもいくつかの共通点がある。

一つ目は二人ともニューヨーク市の郊外(ロングアイランドやニュージャージー州)と関係する作品を制作したことである。アースワークといえば、よく知られているスミッソンの《スパイラル・ジェティ》などのように、都市部からはほど遠い自然の中に置かれる巨大な作品のイメージがまず思い浮かぶだろう。しかしこのように、都市の中心でも、人間のいない自然でもない郊外から触発されて制作された作品群がアースワークの作家の作品リストに存在するということは看過してはならず、これらの作品について考察することは彼らの芸術実践全般を理解する上でも重要だと考えられる。

二つ目の共通点は、二人とも作品制作の際に地図を用いていたことである。スミッソンは地図を作品の一部にしただけでなく、地図や地図製作という概念そのものにも大きな関心を持っていた。彼は特に1960年代後半に制作した「ノンサイト」の作品群において、個別の作品の構成要素として地図を使い、また彼自身、各「ノンサイト」はそれぞれが指し示す実際の「サイト」の「三次元の抽象地図」として機能すると述べてもいる。一方、オッペンハイムが地図を用いた作品としては例えば1967年に制作した《サイト・マーカー》連作がある。《サイト・マーカー》は、彼が選定した「サイト」の位置情報とそこに関する説明、「サイト」の写真や地図、そして「サイト」を指し示す杭のような形のアルミニウムの物体がセットになっているという作品であった。

本発表では、スミッソンとオッペンハイムがそれぞれの「サイト」を選定した理由と、作品における地図の使われ方を軸に彼らの作品を比較検討し、そこに存在する相違点に注目する。スミッソンに関しては、彼が自らの「ノンサイト」と「サイト」をそれぞれ「中心」と「周辺」として捉えていたことがこれまで指摘されてきたが、そうだとするとスミッソンにとっての「郊外」とは必ずしも都市と連続するものではなく、むしろ都市とは対極にあるものとして考えていたと見ることが可能である。一方、オッペンハイムが注目していたのは都市のインフラストラクチャーとそこで生活する人々の日常生活であることが知られており、彼の場合は「郊外」を都市の延長線上にあるものとして捉えていた点が示唆される。以上の内容に加え本発表ではさらに、彼らの芸術実践そのものをある種の地図製作ないし既存の地図への注釈として捉え、地図(製作)学の観点を取り入れて再考することを試みる。よく知られているように地図は、その地図が指し示す場所に対する地図製作者の主観が現れるものである。彼らの芸術実践は、地図製作者の実践と同様に、「サイト」そのものを再構成する試みだったのである。